破調
最近いよいよ自分にエネルギーがないので、歌が破調ばかりになる。
破調の歌はエネルギーがないと仕上がらないから仕上がらない破調の歌ばかりになる。
本当はいまはだからちゃんとした定型の歌をつくりたいのに、
エネルギーがないから定型にならない。
引越しがあるからやることが多くて、だけどエネルギーがないから全くやる気が起きない。
やる気が起きないから歌も仕上がらない。
引越し費用が嵩むから食費を一日500円にしたのがいけないのかもしれない。
貧乏神にいい歌は作れないのかもしれない。
2023年 掲載情報
今年は左右社の偏愛歌人シリーズ『石川啄木(仮)』や、第4歌集の刊行を予定しています。
2023年
11月
予定・引越し
予定・断面/14首(「外出」十号)
予定・鎌倉吟行座談会(「外出」十号)
NEW・塚田千束歌集『アスパラと潮騒』書評(「短歌」11月号)
10月
NEW・小池光特集解説&20首選/「破調のすごい歌」「社会詠(時事詠の名歌」(「短歌研究」10月号)
NEW・五所美子歌集『風師』書評(「現代短歌新聞」10月号)
8月
・どっちをよむ?山の歌(「NHK短歌」8月号)
7月
・気流/20首(「短歌研究」7月号)
・皐月集批評(「みぎわ」7月号)
・うたの家族(「歌壇」7月号)
・新・介護百人一首(2022年版)二首評(「ラジオ深夜便」7月号)
5月
・白壁/14首(「外出」九号)
・内山晶太歌集『窓、その他』座談会/(「外出」九号)
4月
欲望/12首&エッセイ/春の愛誦歌(「短歌往来」5月号)
3月
新・介護百人一首(2021年版)二首評(「ラジオ深夜便」3月号)
アドバルーン逃亡中の青空/山田航歌集『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』書評(「短歌往来」3月号)
2月
床の面積(8首)&分裂(エッセイ)/女が叫ぶみそひともじ(Webサイト「大手小町」2月6日)
読者投稿欄選&選評/(「ねむらない樹」10号)
1月
・『つきかげ』鼎談(小池光・山下翔・花山周子)/特集「ボクらの茂吉」(「現代短歌」3月号)
・シェアしたい、茂吉のこの歌集(アンケート&三首選)/特集「ボクらの茂吉」(「現代短歌」3月号)
2022年はこちら→2022年に書いたものなど
主婦と兼業/百人一首鑑賞
主婦と兼業の更新記録です。
鑑賞◆小倉百人一首◆(noteマガジン)より
今橋愛と花山周子で小倉百人一首の鑑賞を交互に行っています。
毎週、月、木で更新しています。→月曜更新に変更しました(花山は月曜に更新できない場合も多々あり)※奇数番号の歌を花山周子が偶数番号の歌を今橋愛が担当していますが、ときに狂う場合がありそうです。また、花山は順番通りでありますが、今橋は書きたいものから書いていくので、番号が前後しています。
2023年
9月11日/今橋
22番 吹くからに秋の草木の
9月6日/花山
35番⑤ 人はいさ心も知らず
8月28日/今橋
82番 思ひわびさても命は
8月23日/花山
8月14日/今橋
72番 音に聞く高師の浜の
8月8日/花山
35番③ 人はいさ心も知らず
7月31日/今橋
26番 小倉山峰のもみぢ葉
7月24日/花山
35番② 人はいさ心も知らず
7月17日/今橋
76番 わたの原漕ぎ出でて
7月10日/花山
35番① 人はいさ心も知らず
7月3日/今橋
92番 わが袖は潮干に見えぬ
6月26日/花山
33番 ひさかたの光のどけき
6月14日/今橋
30番 有明のつれなく見えし
5月29日/花山
31番 朝ぼらけ有明の月と
5月25日/今橋
90番 見せばやな雄島のあまの
5月22日/花山
29番 心あてに折らばや折らむ
5月18日/今橋
21番(今橋版) 今来むと言ひしばかりに
5月15日/花山
27番 みかの原わきて流るる
5月11日/今橋
19番(今橋版) 難波潟みじかき芦の
5月8日/花山
25番(花山版) 名にしおはば逢坂山の
4月27日/今橋
38番 忘らるる身をば思はず
4月20日/今橋
20番 わびぬれば今はた同じ
4月17日/花山
23番(花山版⑥)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
4月13日/今橋記
48番 風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思うころかな 源重之
4月10日/花山記
23番(花山版⑤)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
4月7日/今橋記
32番 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり 春道列樹
4月3日/花山記
23番(花山版④)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
3月30日/今橋記
14番 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに 河原左大臣所
3月27日/花山記
23番(花山版③)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど大江千里
3月23日/今橋記
64番② 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼
3月20日/花山記
23番(花山版②)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
3月16日/今橋記
64番① 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼
3月13日/花山記
23番(花山版①)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
3月9日/今橋記
12番 天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ 僧正遍昭
3月6日/花山記
21番 今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
3月2日/今橋記
42番 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは 清原元輔
2月27日/花山記
19番 難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや 伊勢
2月20日/今橋記
18番(今橋版)住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ 藤原敏行朝臣
2月19日/花山記
18番(花山版)住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ 藤原敏行朝臣
2月18日/今橋記
23番(今橋版)月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
2月17日/花山記
17番 ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣
2月16日/今橋記
34番 誰をかも知る人にせむ高砂の松を昔の友ならなくに 藤原興風
2月15日/花山記
15番 君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ 光孝天皇
2月14日/今橋記
84番 ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しとみし世ぞ今は恋しき 藤原清輔朝臣
2月13日/花山記
13番 筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院
2月12日/今橋記
8番 わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師
2月11日/花山記
11番 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟 参議篁
2月10日/今橋記
25番 名にしおはば逢坂山のさねかずら人にしられでくるよしもがな 三条右大臣
2月9日/花山記
9番 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
2月8日/今橋記
4番 田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人
2月7日/花山記
7番 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 安倍仲麻呂
2月6日/今橋記
10番 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蟬丸
2月5日/花山記
5番 奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫
2月4日/今橋記
96番 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣
2月3日/花山記
3番 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂
2月2日/今橋記
6番 かささぎのわたせる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞふけにける 中納言家持
2月1日/花山記
1番 秋の田の仮穂の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
『うたわない女はいない』(中央公論社)書籍化のお知らせ
ウェブサイト「大手小町」で連載されていた「女が叫ぶみそひともじ」が、
このたび『うたわない女はいない』として中央公論社から出版されました。
わたしは、「床の面積」8首と「分裂」というエッセイを掲載させていただいています。エッセイのほうは初出から大幅に加筆修正しました。このエッセイ、ひどく難儀してしまい、編集の方には「大手小町」に引き続き最後の最後まで、本当にお世話になり感謝に堪えません。
他の35名の方の作品とエッセイがとにかく読みごたえがあり、ついつい、開いては読み耽ってしまいます。わかるなあと思ったり、そうだったのかと身につまされたり、知らない世界を覗き見ることができたり、読んでいてとても感情が動かされます。
末尾には俵万智さんと吉澤喜代子さんの「おしごと小町短歌大賞」対談も収録されていて、短歌初心者の方にもきっと楽しめる本だと思います。
7月7日七夕発売になります。
うたわない女はいない / 働く三十六歌仙 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア (kinokuniya.co.jp)
主婦と兼業のお知らせ
「小倉百人一首鑑賞」、前回まで過去回分を毎日一首更新してきたのですが、そろそろストックも切れてきたので、次回からは週二回の更新に切り替えます。
月曜日を花山が木曜日を今橋が担当します。
どうぞよろしくお願いします。
火事になりかけた話
今日、午前に娘がやっと退院できた。
いっしょに家に帰ってくると、プラスチックが焦げたような異臭がする。
この一週間、ときどき臭っていたけど、原因がつきとめられず、娘の手術のことで頭がいっぱいだったし、臭いもすぐになくなるので、うちは窓を開けっぱなしにしているし、外からの臭いかとも思っていた。
でも、今日は玄関を開けた瞬間くっきりと臭った。それでもやっぱり原因がつきとめられない。今回も、あちこちのコンセントや家電類を嗅いでまわっているうちに臭いは消えた。
三時ごろ、また臭いはじめた。ついに、台所の電気のスイッチとコンセントのあたりが臭うことをつきとめた。
コンセントを引き抜くとコンセントが火傷するほど熱くなっている。引き抜いたまま様子を見ていると臭いが落ち着いたので、明日、電気屋に連絡しようと思ってそのままにしておいた。
夜9時になって、また臭いはじめた。様子を見ていると抜かれたままの差込口から煙が上がりはじめた。差込口が溶けて落ちくぼんできている。急いで家中の電気を消すと、差込口の奥が赤く光っているのが見える。動揺しながら、消防署に電話して、まだ火事にはなってないんですけど、と、事情を話すと、すぐにコンセントに水をかけるように、消防署もすぐ行くようにすると言われ、コンセントに水かけてもだいじょうぶなんですか、と聞くと、ええ、赤くなってるんですよね、すぐかけてくださいと言われ、コップで少し離れたところからコンセントめがけて水をかけると、ジュジュジュと音がする。何回かけても音がする。五回以上はかけた。おさまったようだったので、消防署も来るからと大慌てでそのあたりを片付けていると、コンセントの中からじじじじと音がしている。はらはらしながら娘と部屋のなかを片付けて回っていると、消防車とパトカーと救急車の音がまだ遠く外に聞こえていて、え、これ、うち?っと娘に聞いたその瞬間、ドアがノックされた。開けると、玄関の前に隊員が来ていて、続いてどどどどどどどっとすさまじい勢いで大量の隊員が狭い階段を駆け上ってくる。四階建てのビルごと揺さぶられるような振動で、どさどさと入ってくる。電話してからものの5分もかからずに、警察と消防署と救急の人が、ドアと外廊下が狭いため全員はとても確認できなかったけど、確認できた範囲でも10名以上は駆けつけていた。申し訳なくなりながら、いろいろ事情を聞かれて説明する。3畳の台所で、警察の人、消防署の人たちに囲まれて、それぞれ順番に同じことを聞かれ同じことを答え、それぞれの人がそれぞれに、コンセントを確認し、写真を撮り、最後には家じゅうの寸法を計り、家じゅうの写真を撮り、お互いに報告し合い、ああ、この人たちは単に消火するだけじゃないんだな。ただのボヤ騒ぎでも、こんなに仕事があるんだな、と思う。しかも、本当に親切でやさしい。電気屋の人も呼ばれて来て、コンセントを取り外してくれる。中は黒く焼け焦げていて、ここは木造(建物自体は鉄筋コンクリートなんだけど、天井が板で、木の柱とふすまがコンセントに隣接している)だから、あと少しほっておいたら、あっという間に屋上まで燃え上がるところだったと説明を受ける。うちは玄関からそのまま台所で、台所と奥の部屋とを仕切る壁にそのコンセントはあるから、寝室で寝ているときに火が起きていたら、助かりようがなかったと思う。
最後まで残っていた消防署の人たちが立ち去るとき、ありがとうございますと何度もお礼を言っていたのだけど、なぜか消防署の方たちもありがとうございます、と言うので、いえいえいえ、と言っていると、靴を履き終わった隊員の方が向き直って、お母さんの迅速な対応で火事が食い止められたので、本当に、こちらがありがとうございます、なんですよ。と言われた。信じられない。消防署の人が偉い人だとは思っていたけど、世の中には市民みたいなものを自分自身の主語として生きている人がいるのだ。そういう主語からわたしは褒められてしまった。なにか頭の中がすごく大きく転倒した感覚があった。
もともと、寝室の電気はわたしの不精のために一年以上切れっぱなしになっていたのだけど、今回のことで、台所の電気もつかなくなり、そしてなぜか、居間のコンセントも使えなくなり、家の電気が半分だめになってしまった。
Webサイト「大手小町」
WEB「大手小町」という読売新聞社が運営するサイトで、
「女が叫ぶみそひともじ」という連載に参加させていただきました。
「床の面積」(短歌作品8首)と「分裂」(エッセイ)が掲載させています。
今の時代に自分が生きていることが深い謎なり便利だけれど | 大手小町 (yomiuri.co.jp)
こちら、女性による「働く」をテーマにした短歌アンソロジー企画になります。
これまでに24名の方が書かれているのですが、いずれも、とても読みごたえがありますので、合わせてぜひお読みください。
「主婦と兼業」再開します。
今橋愛さんとの、主婦と兼業、しばらく休止していたのですが、こちらのサイトに移転再開することになりました。
「主婦と兼業」では今橋愛と花山周子で「百人一首」の鑑賞を交互に行っていく企画を立てています。
まずは過去に書いたものを毎日一首更新予定で、 その後は月八回程度の更新を目指したいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
2022年 掲載情報
※2021年末をもって塔短歌会を退会いたしました。
※コロナ禍の影響なのか、言葉が出なくなってしまい、今年はあまり原稿などは書かない(書けない)と思います。
2022年
11月
・座談会「八雁の十年を振り返る」/八雁創刊十周年記念特集
花山 周子・角田 純・近藤 優樹 司会 阿木津 英第Ⅲ部 第37号(2018.1)~第60号(2021.11)
/(「八雁」11月号)
・正直でクローンな短歌/フラワーしげる歌集『世界学校』書評(「短歌研究」11月号)
・新・介護百人一首(2021年版)二首評(「ラジオ深夜便」11月号)
・2022年新・介護百人一首選考
・ガソリン/14首(「外出」八号)
・振動/エッセイ(「外出」八号)
10月
・ことりの手触り/小川楓子句集『ことり』書評(「俳句」10月号)
9月
・ビバルディ―春(五月~七月)13首&小エッセイ(「短歌往来」7月号)
8月
・堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)/米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)/相原かろ『浜竹』(青磁社)選書コメント(国分寺紀伊国屋書店選書フェア)
7月
・新・介護百人一首(2021年版)二首評(「ラジオ深夜便」7月号)
6月
・米川が書く夜の断面/米川千嘉子歌集『雪岱が描いた夜』書評(現代短歌新聞6月号)
・山木礼子歌集『太陽の横』批評会パネル(6月19日/zoom)
5月
・鉱脈 二〇二二年二月~四月/63首(外出七号)
3月
・ハハハハハー二〇二一年十二月~二〇二二年二月/作品連載24首(「現代短歌」5月号)
2月
・読者投稿欄選&選評/(「ねむらない樹」8号)
1月
・トルストイ/10首+エッセイ+村上鞆彦10句鑑賞(「俳句四季」2月号)
・作品欄合評(「八雁」1月号)
2021年はこちら→2021年に書いたものなど
夢1
茂吉の夢を見た。
こたつのようなところで食事をしている。
わたしの向かいに茂吉がいる。向かいといっても私の側には三人、両側にも二人ずつはいて、小さいこたつに八人がぎゅうぎゅうに座っている。
茂吉の左側に座っている少し年輩の女性がハムカツを食べていて、これおいしいです。
これと合わせて食べるとおいしいんです。と言って漬物のようなものをハムカツに載せて食べている。茂吉が興味を示したので、女の人はすぐに、先生食べますか。食べてみてください、と茂吉の空いた皿にそれを移す。
わたしは既に茂吉が一度、そのハムカツをよそってもらっていて、漬物とばらばらに食べてしまっていたのを目撃していた。もさもさと食べてしまっていた。
わたしも、その漬物と合わせてハムカツを食べたくなっていたけど、こういうときに、与えてもらえるのが茂吉なんだなと思いながら、茂吉の食べる様子を注視していた。
一度食べ終わった皿に取り分けられたハムカツが載っている図はあまりきれいではなく、茂吉はその皿の上でゆっくりとハムカツに漬物を載せ、箸で挟んで口に運ぶ。もそもそと茂吉の口に入っていくハムカツのころもが茂吉の髯に触っている。
わたしも食べたいなと思う。すると、女の人が急にこちらに食べますか?と言って、茂吉の皿から少し取り分けようとしてくれたものだから、わたしは手をぶんぶん振って、とんでもない!そんなんで、ほんとですか?なんて言ったあかつきには!!
と大袈裟に言って、その場の茂吉以外の全員で声を立てて笑ったところで目が覚めた。
自分の言った、「あかつきには」という言葉が耳に残った。
あれは晩年の茂吉だった。
文学フリマ東京(11/20)のお知らせ②
「き-06」のブースで、
サークル〈たらちねmama〉8名による「近所」vol.2(500円)も発売されます!
vol.1同様、いちごつみや付句など色々載せているそうです。
わたしもまだ読んでないので、楽しみです!
11/20(日)文学フリマ東京 「外出」八号販売のお知らせ
来週の日曜日、文学フリマ東京にて「外出」八号を販売いたします。
日時:11月20日(日)
場所:東京流通センター ブース か-54(第二展示場Eホール)
※これまで短詩系ブースは第一展示場だったのですが、今回は第二展示場になります。
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また、隣の「か-53」のブースで個人販売も行います。
歌集や、過去に参加した同人誌の他、
ペペンシリーズ①『ペペンの宝島』
ペペンシリーズ②『ペペンの恐竜の国』
を置く予定です。
★スタンプもあるよ★
https://line.me/S/sticker/16265152
https://line.me/S/sticker/16265127
山木礼子の歌1/山木礼子歌集『太陽の横』について
先日の批評会で自分が話そうとしたことがうまく説明できていなかった気がするので、自分のための整理を兼ねて、補足しながらここに書いておこうと思います。
この歌集でいくつか先に大事な特徴をあげておくと、ひとつには記憶される歌がいくつもあること――こまりますよねの歌とか、茶髪の母、みなまで言はねば、プチトマト、服を拾う歌、階段から落ちてやらうか、美談のやうに、とか、すぐに、ああ、あの歌ねという感じでいくつも思い出される歌がある。刊行からまだ半年ほどしか経っていないけれど、既に歌壇(この言葉を最近は使いづらくなっているけれど)内に共有のキーワードとしてインプットされつつあることを感じている。
もうひとつは、この歌集から受け渡されるもの、仮にメッセージと呼んでおくけれど、そういうものがある程度誤解なく誰もに届いていること。細かいところでは読みはぶれると思うけれど、たとえば、
芋ほりに子が持ち帰る大ぶりで泥だらけの芋 こまりますよね 43
この「こまりますよね」のニュアンスをとらえることは案外に難しい。ユーモアなのか、それとも糞真面目なのか、嫌味なのか、ため息なのか、世間話なのか、読み手によっても、読むときの気分によっても、ここから聞き取られるものは変わってくる気がするし、そしてそのどれもが混在しているようにも思われる。そのことが、この歌集のとても大事なところな気がしているのだけれど。
ともかくも、そのような細かいニュアンスを聞き取るもう少し手前のところで、ひとつくっきりとこの歌から受け渡されているものがある。
それは、たとえば子供が土と触れ合うこと、そういう場を保育園なりが提供してくれていることを、親も喜び感謝することが当然とされている、そのような価値観/美談をぞんざいに退ける手つきがこの歌にあることである。
そしてそのような手つきをもって、無意識に前提とされた価値観の強要がそこにあることを読者に知らしめるところがある。だからこの場合メッセージというよりももっと直接的に、世間一般が想定しているものを裏切る行為によって、そのことを受け渡している。「こまりますよね」が想定外であったという事実を。
わたし自身、その点において、この歌の読書体験はわりと強烈だった。
(つづく)