田宮智美の歌1 「死にたい」と隣りで笑う同僚に「えー」と笑うキー叩きつつ/『にず』

この歌について「ランリッツ・ファイブ」の座談会で私は、

 美南さんが、文体でも「大丈夫」って言っちゃてるって書いてて、田宮さんの文体って本当に淡々としてて、それこそさっきの歌の、ガラスに映ったふつうの人の文体をしてるんですよね。だけど、中身はめちゃめちゃ怨念っぽいものだったり感情があって、それが見えるのがすごいよね。「えー」が悲鳴だってことが。

としゃべったのだけど、この「えー」が悲鳴だってことが見えるのは、「キー叩きつつ」の効果が大きいよなと思う。「きーたたきつつ」の音の、カ行音もタ行音も、硬い音で、それがたたたた、と並んでいる。「キー叩きつつ」の圧縮された表記に、短く速くキーボードを打つ指の動き、タイピングの音、そしてカタカナの「キー」が金属製の音としても聞こえ、「えー」という短い受け答えとせっかちなその作業のうちに、キーという悲鳴が挿入される。

 

作業を、そのまま詠っていることで、その場のリアルな心理は言葉で説明する以上に、視覚聴覚によって伝わってしまう。そしてそのような伝わり方自体がまたリアルだと思う。

人は案外、物音の立て方とかで性格やその場の心理を発散していたりする。そういうものは無言であるからこそ、感じ取る側も無言で感じ取る。くわばらくわばらとか思って、退散したりする。ふだんから職場にいるもの同士、いっしょに暮しているもの同士、互いにそういう無言のコミュニケーションを人はとっている。

 

「えー」と笑うキー叩きつつ、という彼女の姿に現場の人が気づいていたかどうかは別の話だが、読者として現場に居合わせるとき、発散される悲鳴を聞き取ってしまうのだ。

 

田宮智美歌集『にず』

「ランリッツ・ファイブ」