谷川由里子『SOUR MASH』1/スペアの話
20代の頃だったと思う。電車のドアにもたれて谷川由里子さんとしゃべっていた。
「それ、ずっと気になってたんだけど」と谷川さんが言った。
わたしの手首にはそのとき黒や茶色のゴムが5本くらいはまっていた。
髪を結ぶゴムをすぐなくすので、手首に常備しているうちに増えていた。
なんでこんなにつけているのか、自分で驚いた。
「髪、結ぶやつなんだけど、よくなくすから増えちゃって」と言い訳のように説明すると、
「ああ、スペアね」
谷川さんはそのとき真顔で言った。
自分の説明を即座に「スペア」と言い換えられたことに私はショックを受けた。
それはスペアというのだよ、と訂正されたような響きすらあった。
スペアってなんだっけ。と私は焦った。
私はそれまでスペアという言葉をまず自分で使ったことがなかった。
スペアキーとかのスペアだよね。と思う。
私は合鍵としか言ってこなかった。
そうか。これは、スペアなのか。
「よくなくすから手首につけとくゴム。それがいつの間にか増えたもの」はスペアだったのだ。
谷川さんの『SOUR MASH』を読みながら、そのときのことをしきりに思い出す。「スペア」という言葉の正しい理解をわたしはおそらくできていない。「スペア」が「予備」という意味だということはもちろんわかっているけど、「スペア」という単語を日常のなかで使ったことは未だにないのだ。
言葉って日常で使っている人と使っていない人では、その言葉の印象理解が違う気がする。だからわたしは「スペア」という言葉に「予備」という意味とは少し離れたところで、ある印象を持ってしまっているのだと思う。
その印象は『SOUR MASH』という歌集とふしぎと一致しているのだ。
そして、『SOUR MASH』の、
「彼女のやり方は、軽やかで新鮮。
研ぎ澄まされた歌の中から立ち昇るのは、
ただただぼくらのご機嫌な毎日/曽我部恵」
この帯文とも一致している。
(つづく)